痩せと涙の青春時代編 その1
YouTube連動企画「ダンサーの身体改造100日チャレンジ」
痩せと涙の青春時代編 その1
プロダンサーは己の身体そのものが資本です。
が、全てのダンサーが恵まれた身体を持ってダンスの世界に入るとは限りません。
西部一の細身プロダンサー、こと僕においては、
この問題はターンプロ以前からずっと付きまとい続ける厄介な悩みでした。
特に体が弱かったというわけではないにも関わらず、子供の頃から痩せ型で、頑張って人より食べても
ろくに太れたためしがなかった僕は、華奢な体格がコンプレックスとなり、体育の授業などは特に憂鬱そのものでした。
海やプールで服を脱ぐのが嫌で、泳げなくもなりました。
思春期の少年にとって、「ガリガリ」「運動オンチ」というイメージがどれほど自尊心を傷つけるか、
想像できるでしょうか。そのようなレッテルを自分自身に貼ってしまったことで、長く暗い学生時代が続きました。
そんな私が人生を救われたのがダンスとの出会いでした。
何せ肉(筋肉も含む)が付いてない自分の身体の線、細長い首と長い腕が
「むしろ褒められる」場所を見つけたのですから。
アイデンティティの不確定な若者にとって、これは人生の大事件でした。
決して高身長ではない私ですが、
皆さんもご存知の通り、ダンスは長身や体格が大きいことが勝敗を決めるわけではありません。
ダンスとの出会いによって生気を取り戻した私は、寝る間も惜しんで練習場に通い積めるほど、
みるみるダンスにのめり込んでいきました。
しかし、悲しい哉、やはり競技スポーツというものは行き着くところまでいくと必ず身体能力の争いになります。
スタートラインこそほぼ横並びと言われる大学競技ダンスにおいてもそれは例外ではなく、
中高時代にある程度ちゃんとスポーツをやっている人間は、技術の身につけかたも、
練習そのものの取り組み方も、ジャンルが変われど既に身体が覚えていて、自然にできてしまうのです。
その伸び率は到底僕の浅い経験で追いつけるレベルではありませんでした。
競技会の講評ではいつも見た目のスッキリさ、力みのなさは褒められるものの、
身体を使う、人と競う、ということに関するOSがファイナリストに比べると圧倒的に負けていました。
皆がスマホを使う時代に、自分だけガラケーで勝負をしようとしてるようなものです。
今だからこそ、その当時の自分とファイナリストの間にどういう違いがあったのか分かりますが、
その当時はまさに理解できない、埋めようのない溝を感じていたものでした。
結局健闘虚しく、自らの力不足により関西ファイナリストで終わった学連競技ダンス生活。
4回生後半の秋関戦、全国大会ではトラウマとも言える敗北感を味わってしまいます。
さて。その後我がコンプレックスはどのような経緯を辿るのか!
次回は、大学卒業後、今回のチャレンジに至るまでのお話に続きます。
興味がある方のみお付き合いいただければ幸いです。